【ノニからタヒチアンノニジュースにいたるまでに】

タヒチでは2000年もの昔から現地の人に

使われてきた”ノニ”


アダムとイヴの時代、聖書の中に

毎日果実のなる木があるというそれが

"ノニ"だといわれているから歴史は

もっともっとさかのぼるのですね。

私たちが当たり前のように毎日飲んでいる

タヒチアンノニジュース。

しかし、この製品ができ上がった背景を

考えるとそれは決して「当たり前の話」ではなく

小さな奇跡がいくつも重なりあっているのです。

そんな7つの奇跡のお話です。


【奇跡がおりなすストーリー】

<1。ノニに出会う>
ジョン・ワズワースは大学を卒業後


サラリーマンをしていました。

食品科学と農業経済を専攻したものの

学生結婚で授かった4人の子どもと妻を養うためmj.jpg

日々の生活費を稼ぐのが精一杯でした。

彼の転機は大学の同級生の誘いでした。

同じ食品科学者のスティーブン・ストーリーと

共同で米国ユタ州に食品会社を設立し

健康食品を開発します。

いくつかのヒット商品を生み出しますが

ある製品がまったくの不振。

会社は倒産寸前の状態に陥ってしまいます。

このときジョンはノニに出会います。

ポリネシア系の友人が

「健康のサポートに
この実をジュースにして飲む」

話してくれたのです。

ノニは栄養価が高く、ポリネシアでは

誰もが知っているということでした。

経営不振の只中にいたジョンは、これこそが

起死回生の製品になると直感しました。

むしろ会社が不振だったからこそ

ノニに注目したのかもしれません。

ユタ州は米国の片田舎ですが

ポリネシア系移民の多い地域として

知られており、この場所だったからこそ

ジョンはノニの生きた情報を得ることが

できたのです。

 

<2。用意されていた恵み>
ポリネシア人はノニを古代より「神聖な植物」

として崇めていました。

しかし西洋文化が広まるにつれ

ノニは忘れられていったのです。13_blueocean_cotage.jpg

ジョンがタヒチを訪れたとき、現地では

「ノニは知っているが臭いから誰も飲まない」

という状況でした。

当時はノニを栽培する農家はなく、

森に自生しているノニも製品化に

必要な量を収穫するのは困難でした。

そこでジョンは人々から多くのノニがあると聞いた

絶海の孤島マルケサスに飛びます。

そしてマルケサスで紆余曲折の末

遂にノニの群生地を発見したのです。

ノニは自然に拡散する植物ではないので

きっと古代マルケサス人が子孫のために

植えたのでしょう。

ジョンはこのときその用意されていた恵みを

前に「世界中のすべての人々にノニの恩恵を

届ける」という自分の使命を強く感じたのです。

 

<3。信じてくれたポリネシア人>
ジョンは「収穫したノニを買いたい」と

ポリネシア人に申し入れましたが

「こんなものを買うなんて信じられない」

という反応でした。
32.1_tahitiman_noni.jpg
「ノニを車で運んでくれないか」とも

頼みますが「車が臭くなるから嫌だ」


断られます。

製品をつくるために「工場を貸して欲しい」

とも頼みましたが、やはり

「臭くなるからだめ」です。

そんな中、ジョンの人柄を信じ彼とともに


働いてくれる人々が現われました。

他のポリネシア人からは

「おまえはあのアメリカ人にだまされているのだ」

と後ろ指を差されましたが、


彼らは強い意志をもち

ジョンの夢の実現を助けてくれたのです。


<4。味の改良>
ジョンはある日、試作したノニのジュースを

友人のケリーオルセンに飲ませ、もっと

味を改良すべきだという助言を得て、

スティーブンとともに”美味しい”

タヒチアンノニジュースの開発に

とりかかります。

彼らは数えきれないほどのテストを重ねて

他の果汁との組み合わせを調べていきました。

製造工程にも工夫をこらし、遂に

タヒチアンノニジュースが誕生したのです。

ノニ本来の味を知っているポリネシア人はprocess_8.jpg

タヒチアンノニジュースの味を

「奇跡的な美味しさだ」と称え、その配合と

製造方法を絶賛しました。


 

<5。採用されず>
ジョンは自信をもって開発したタヒチアンノニジュースを

ある健康食品会社に売り込みにいきました。

その会社は友人のケリーオルセンが副社長なので

簡単に契約できると予想していました。

しかし、結果は「ノー」。

もしこのときこの会社に採用されていたら

タヒチアンノニジュースはこの会社に数ある

製品のラインアップのひとつとしてyugredokinohamabe2.jpg

販売されるに止まり現在のように

多くの人々に飲まれることはなかったでしょう。

後にケリー・オルセンはこの会社を辞め

ジョンとともにモリンダの設立に参加・尽力します。

 


<6。資金が集まる>
ジョンとスティーブンは自分たちで会社を

立ち上げタヒチアンノニジュースを販売する

ことを決意し投資家のエイシー兄弟に

資金援助を求めます。

当時彼らは資金をもてあまし、働かず

自宅で多くの時間をすごしていましたが

じつは家族に勤勉な父の姿を示すために[lP.jpg

自分のすべてを捧げて働ける何かを

探していたのです。

ジョンの情熱に感動した彼らは数百万ドルに

上る巨額を投資するため、ノニの調査を

始めました。ノニ研究者のアン・ヒラズミとも

このとき電話で話しています。

彼女との会話でケリー・エイシーは

確信を高めます。アンの科学的な説明

だけでなく彼女のノニに対する情熱に

ケリーの心が動いたといいます。

こうしてエイシー兄弟が会社設立に

かかわってきます。

 

<7。人が集まる>honsha.jpg
かくしてタヒチアンノニジュースは発売されました。


開業当初は倉庫に電話をひき

仮の事務所にしていました。

お客様の問い合わせに創設者自らが

出ることもありました。

小規模ながら家族的な会社としての

ささやかなスタートでした。

始まりはささやかでしたが発売後またたく間に

タヒチアンノニジュースは大ヒット商品になります。

倉庫には連日アメリカ中から


タヒチアンノニジュースを求めて行列ができました。

創業後半年で月の売り上げが
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100万ドルを越えました。

この売り上げに貢献したのが

独立プロダクトコンサルトの人々です。

彼らは創業間もない小さな会社を

信頼してくれました。

今まで聞いたことも見たこともなかった

フルーツジュースが多くの方々の

協力を得て販売網を拡大していきます。

これだけ多くの人々が集まったのは

一種の奇跡でした。
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奇跡がおりなすストーリー <おわり>
 


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7つの奇跡が重なり合って
現在、タヒチアンノニジュースを
いただいています。


神からの贈り物といわれる”ノニ”が
どのようにしてジュースになり私たちの
手元に届くようになったのかが
少しでもわかってもらえたならうれしいです。



そして私にはわたしの、他の人には
それぞれその人の奇跡のストーリーが
必ずあると思うのです。

皆さまにも「ノニ」の恵みがありますように
こころからそう願います。

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